2014.12.09
平和の時間
この原稿依頼があった今週末に、小中学生とその父兄約50名と一緒に5×10メートルの大きな絵を富士吉田市の体育館で描く予定になっています。
テーマは『平和』です。
その時、私からも平和についてのお話をすることになっていますので常日頃より思っていることを、この機に文章にまとめて見ようと思いペンをとりました。
まず子供達に質問です。『平和ってどういう世界なの?説明できる?』人は戦うスポーツやゲームが大人も子供も大好きです。人類の歴史は戦いの歴史でもあります。ある知識人が言っていました。
平和とは戦争と戦争の間の事だと・・・。
私は戦後生まれで戦争をしりません、中東では20年も30年も戦争してて、生まれてから大人になるまで戦争しか知らない人々の国があるそうです。 日本の平和はどこまで続くのでしょうか? 
私が中学生の時、東京オリンピックがあり、開会式をテレビで観ていた時、整然と競技場に小学生が入場してくるシーンで父が涙しました。戦争体験のある父母世代はその時、平和を実感したのではないかと思うのです。今度、又東京オリンピックが開催されます。その時、私は七十歳になってます。感動が子供や若い人達に広がるでしょうか・・・。その時、平和でありさえすればそれだけで良いのでしょうか。やはり平和だけじゃなく正直に言ってお金が無いと困ります、不幸はいやだ、幸福でありたいと誰でも思うのではないでしょうか。この誰でも思う事が大切な大昔からずうっと続いているテーマなのかと思うのです。 
私は若い頃『まんが日本昔ばなし』というテレビの人気番組の演出や作画を担当していました。 “ぼうや良いこだ〜”のオープニングで始まり毎週土曜日の夜二話放送されていました。ある時は下吉田の駅前での家で結婚後は河口湖の自宅で16年間で約90話を一人で描いていました。人気番組でしたから、この番組だけに集中して田舎で仕事していられたのです。 メールも宅急便さえない時代からです。今思うと良くやっていたなと思います。あのアニメ番組は演出家一人々の個性を生かして表現する作品でした。私も自由にのびのび楽しく仕事ができました。その楽しさ面白さを少しでも伝えたいと思い描いていました。アニメの面白さただそれだけでも伝われば良いと思っていましたが、今はふと気づくことがあります。若い頃描いたあの話の意味はもっと深いとか、この歳になってはじめて知る昔の人達の思い誰もが願っていた事を教えられます。数年前あるラジオで昔はなしの学者さんが世界中の昔はなしは、数えられない程多くあるが、その結末はたった三つのパターンでしかないと、その三つとは“平和と幸福と富”の形で終わる話であると。  平和は鬼退治や悪魔退治、幸福は結婚して終わる、王子とお姫様は幸福になど、富は金銀財宝、大判小判がざーくざくで終わるパターンだと・・・。なるほどと思い自分なりに日本の昔はなしを考えてみました。  私が仕事してて圧倒的に多かったのは富のパターンです。そしてはたと気づきました。話の結末で大判小判が手に入る時、必ずといっていいほど宝は地下や海の底、山の中、天空からの出現なのです。日本の昔ばなしの宝は自然からの贈り物で成り立っています。 今回のテーマ平和はと言うと鬼退治ですが、日本昔はなしの代表的話に“桃太郎”があります。「お爺さんは山にしばかりにお婆さんは川に洗濯に」ではじまります。芝刈りとは山から小枝を拾って来て家で火を燃やします。川は山から里に流れて来ます。火も水も山からいただいてますで始まり、上流からどんぶらこと桃が流れて来て桃太郎が産まれ、村を苦しめていた鬼達を退治してくれる、つまり山が里を守っていてくれるという形で成立している話ではないかと思うのです。結婚は幸福要素です。でも日本の昔はなしでは別れにつながり不幸になる話しが多くあります。そのほとんどが人と自然の境界線を越えてむすばれたパターンです。人と動物、化け物や神様などある約束事をして成立する結婚なのです。「見るな」「言うな」などの約束事は常に破られ不幸な結末が待っています。平和 幸福 富この三つのテーマは『自然からの恵み』で一つになる形式で作られています。日本の芸術表現は昔からシンプルを求めていると思うのです。例えば5,7,5の俳句、雅楽の楽器や音色,茶道、美術は琳派、水墨などのようにシンプルで深いのです。
戦後の平和が生み出すエネルギーは様々なメイドインジャパンを世界に発信して来ました。漫画やアニメもその一つです。私が子供の時は、マンガが大好きで枕元に雑誌や単行本を置いておかないと眠れませんでした。後年手塚治虫の虫プロダクションに入社して後フリーとなりアニメを仕事として生活してきました。当時は殆ど知られていなかったアニメという言葉も今は世界中の若者のカルチャーとして定着しています。日本の平和や自然の美の力が世界中の人々に共感されている。クールジャパンと騒がれているのも世界の平和への憧れがそうさせているのだと思うのです。 小学生だった頃、ボール紙をはさみで切って遊ぶ紙型が自分では楽しくてこんなすばらしく楽しいものは、皆も欲しいに違いないと、下吉田駅前に木箱を並べそこで紙型として販売したり、もちろん売れませんでした。大人になり仕事として始めたアニメは紙にエンピツだけの仕事、現在もまた和紙に墨と朱墨だけで表現した絵にチャレンジしています。シンプルな表現こそ日本人に適していると信じているからです。
11月22日に大きな紙に赤富士とその上を飛ぶ朱雀を描いて私なりの平和イメージを表現したいと思っています。集まった小中学生達にもシンプルに墨と朱墨で富士山を描いてもらいその上空に自分なりの平和イメージ例えば友達の笑顔、好きな食べ物、花や動物となんでも自由にえがいてもらい、そのイメージを私の描いた絵に寄せ書きしてもらい今回の大きな絵を完成したいと計画していますが・・・さて、うまく出来上がるか大失敗に終わるか、結果はともかく皆で楽しんで描いてみようと思います。
最後になりましたがこの度富士吉田文化振興協会より第18回芙蓉文化賞をいただける名誉を授かり感謝申しあげます。
これからも平和の国の平和の時間を大切に精進してまいります。

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