2015.04.29
アニメーションの世界 その2 手塚治虫
虫プロダクション、アトム 生誕50周年 パーティーに出たとき先輩から聞いた話 ジャングル大帝 -編集していて 手塚先生がどんどんカットしてしまい 短くて放送できない。時間の足りないフィルムになってしまいました。先生どうするつもりだろうと 思っていたら放送を見てびっくり エンディングが2回 ながれたのです、、、。 後で知ったのですが 実は先生 レオの顔が下手な絵をどんどんカットしたのだそうです。
日本初の2時間テレビアニメ 第1回24時間テレビ バンダーブック
手塚先生 久しぶりのアニメーション はりきっていたんですね 周りのスタッフはへとへとになっていました、、。 当時私は作画の下請けプロジェクションでしたが メインのアニメーターとして 内容はともかく仕事量はすごくしていました.。 後年テレビドラマで バンダーブック の時の手塚先生と そのスタッフ その制作現場 が舞台 になっていました.。 徹夜続き 過酷な スケジュール 手塚先生のセリフ に僕はコッペパンをかじりながら漫画を書いていた 僕にできたんだから 君たちにだって できるはずだ、、、 そのドラマほど 大げさではないけれど 結構きついスケジュールでした。 僕のところにも先生直筆の絵コンテが来て どれほどのシーンを書いたのか忘れました が結構な量の仕事をこなしました.。 無茶苦茶なスケジュールの中で 悪戦苦闘している時 また先生直筆絵コンテが届きました その内容を見て驚ました、 とてもテレビでは放送できない 内容でした .。 時間の無駄だからやめよう 何度も演出に頼んだのですが どうしてもと言われ書きました 案の定 放送はされませんでした.。 この作品 記憶に残っているのは 2〜3カットしか覚えていません なのに 放送されなかった そのシーンは しっかり記憶にのこっているのです.。 無駄だとおもって描いたところだけが記憶に残ったのです、、、。
手塚先生の 漫画やアニメの愛情の深さ 強さが誰よりもハードだったはずの 仕事の中でも 遊びゴコロを忘れず 描いていたのだろうなと 思えるのです、、、
手塚治虫様
虫プロダクション作っていただき ありがとうございました。

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